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大和民族リンク集

大和民族(やまとみんぞく)は、日本列島に居住する多数派の民族。しばしば日本民族や和人(わじん)とも呼ばれる。 同じ意味で、日本人という単語も用いられるが、国内の少数民族や海外からの移民を含めた日本国籍の所有者全体を含むこともあるため曖昧さが存在する。 「日本民族」は、英語のネーションの用法に基づき、日本の国籍や日本列島にルーツを持つ全ての文化的集団(エスニック・グループ)を統合した政治的共同体(ネーション)を表す概念としてこの語が使用されることもある(この場合、大和民族に加え日本列島にルーツを持つ少数民族であるアイヌ・ウィルタ・ニブフを含む)が、日本語ではこの広い意味の場合は、ごくあいまいに「日本に属している」、あるいは「日本国の国籍を持つ」という意味での「日本人」と言う呼称が一般的である。

大和民族は、縄文時代以前から日本列島に住んでいた人々(いわゆる縄文人)のうち、弥生時代に大和(奈良盆地の南東部)を本拠地とする人々を中心に形成されたヤマト王権(大和朝廷)が、日本列島各地の様々な人的集団と連合し、あるいは勢力下に置き、同時に大陸から移住してきた人々(いわゆる渡来系弥生人)を同化したことにより成立していったと考えられている。ヤマト王権の勢力拡大に伴い、一地域名であった「大和」が日本を広く指す呼称となり、民族名ともなった。ただし、ヤマト王権の成立過程は現段階でも明らかになっておらず、謎も多い。 戦前教育では、天孫降臨の神話から天孫民族(てんそんみんぞく)とも称された。戦後にこの呼称は廃された。また、日本国籍を持つ者の大半が大和民族であるため「日本人」と「大和民族」は同一視されることが多く、日常一般でも大和民族ではなく日本人と称する。 明治期における人類学的な区分では、坪井正五郎が先史時代の先住民であるコロボックル、アイヌ(及び樺太アイヌ)、琉球人、朝鮮人・台湾漢人、台湾原住民などを除いた集合を大和民族と主張していた。当時はそのほかに、日本人には上流階級に多い長州タイプ・庶民に多い薩摩タイプという人種的区分が存在するという指摘がエルヴィン・フォン・ベルツらからなされることもあった。戦前の国定地理教科書でも、大日本帝国を構成する民族として、「朝鮮人」「支那民族」「土人」「アイヌ人」とともに「大和民族」が挙げられている[1]。 近年注目されるミトコンドリアDNA研究によると、縄文人も弥生人もどちらも北東アジア(中国大陸、シベリア、ブリヤート、朝鮮半島)に類似したDNAが多く分布しており、縄文人を南方系、弥生人を北方系とする埴原和郎の二重構造説は疑問視されている。しかし日本民族が多重構造であることには肯定的な意見が強い[2][3]。 また、一方では日本人は北海道から沖縄県に至るまで、遺伝学的には大差はなく比較的均一性も高い民族であるという研究結果も出ている[4][5][6]。 2009年(平成21年)12月10日、日本を含むアジア10ヵ国の研究者によって行われたゲノムの詳細解析の国際共同研究の結果がサイエンスに発表された。数万年前まで遡ると、日本人を含む東アジア集団の起源は東南アジアにあると推定されるという結果であった[7]。

大和民族は、主に日本列島に居住しており、日本国の社会で多数派を形成する民族である。 日本以外には、移民(日系人)としてブラジルを始めとするラテンアメリカ諸国、アジア、ヨーロッパ、アメリカ合衆国など世界中に分布した。ただし、近隣の民族である漢民族や朝鮮民族と比べると日本国外への移住者は比較的少ない。現在、彼らは日系ブラジル人や日系アメリカ人として、それぞれの国の少数民族として暮らしている。 大日本帝国時代には大日本帝国が台湾と朝鮮半島を領有し、さらにアジアや南洋の各地に進出して分布域を広げたことにより、その地域に一定の社会基盤を築いていったが、太平洋戦争(大東亜戦争)が終結した時、日本の主権が失われたため日本本土へ帰っていった。 ただし、終戦の混乱によって本人の意思に関係なく、現地に残った人々が存在する。彼らの中には中国残留日本人となったり、またインドネシア独立戦争などに参加した残留日本兵などがいるが、そのほとんどは現在高齢化している。 戦前、日本が領有した地域の中では樺太やパラオ共和国などに、小規模ながら残留日本人の共同体が現存する。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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